吉田城の歴史は、永正2年(1505)、牧野古白により、その前身の今橋城が築かれたことに始まります。
<明応5年(1496)説もあります>
戦国争乱の世の中で、東三河の要であった今橋城は、戦国武将が激しい攻防を操り返す中で、
名も今橋から吉田と改められました。

永禄8年(1565)、徳川家康は今川氏の東三河最大拠点であった吉田城を攻略し、ここに酒井忠次をおきました。

天正18年(1590)、家康の関東移封によって池田輝政が15万2千石で入城し、
城地の拡張と城下町の整備を行いましたが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後、播州姫路に所替えとなりました。

幕藩期には東海道の要衝として、大河内松平など9家22代の譜代大名が在城しましたが、
その石高はいずれも3~8万石ほどで城地を確保しているだけが限度でした。

輝政によって拡張されたこの城も、財政的要因のため完全に整備されず、天守閣の建立を見ないまま明治に至りました。
現在の吉田城隅櫓すみやぐらは、故・城戸久氏(名古屋工業大学工学博士)の設計により、
本丸鉄櫓跡に入道櫓を模して昭和29年に再建されたものです。

つまり、江戸当時から天守閣がなかったということですね。

静岡県湖西市にある本興寺には吉田城の城門と御殿(側室の住居と伝えられている)の一部が移築、現存しております。
こちらも、足を伸ばしてみてはいかがでしょう。